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菰池(こもいけ)と白滝公園を源流とする桜川は、三嶋大社西側の祓所(はらいど)神社の脇を通り、南へと流れています。かつては祓所川とも言われていました。川は下流に行くに従って、いくつもの水路に分かれ、二日町、中、中島地区の水田を潤(うるお)す人工の農業用水路です。以前は三嶋大社西側の道路下を通り、県道三島富士線を越えると再び姿を現わし、市役所本館前を勢いよく南下していました。 |
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| 水辺の文学碑が並ぶ桜川 |
| 桜川人柱伝説(さくらがわひとばしらでんせつ) 菰池公園からの湧水と、白滝公園からの湧水が合流する付近に、芝本町方面へ流れを落すための「ドンドン」と呼ばれている水門があります。その堰(せき)には、「人柱伝説」が残されています。 その昔、桜川は水量が多く水の勢いも強く、堤防を造っても何度も壊されてしまいました。役人たちもほとほと閉口している折りに、ちょうど通りかかった僧がいました。 僧は「それは人柱を立てることで解決します。気の毒だがこの堤防を造る人夫の中に、襦袢(じゅばん)の肩当てに手拭(てぬぐい)を使用している人がいます。その人が人柱になる人です」と教えてくれました。 早速、調べてみると、僧が言ったとおりの人がいました。そして、その人夫が人柱の犠牲となり、堤防工事が無事に完成しました。 以来三島では肩当てに手拭を使わなくなったと言います。また、堰門には線香と花が供えられており、つい最近までここを通る人は履物を脱ぎ、素足で通ったと言われています。 この話がいつごろのものであるかは明らかではありません。桜川を造ったのは江戸時代中期という説があります。しかし、慶長(けいちょう)9年(1604)の三嶋大社の絵図には桜川が描かれているので、律令時代のことではないかという説もあります。
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| ☆「桜川を愛する会」が奉仕作業に協力しています | |
| ・毎月第一土曜日10:30〜清掃作業 | |
| ・花の植えかえ | |
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